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名古屋高等裁判所 昭和35年(う)11号 判決 1960年3月30日

控訴人 原審検察官

被告人 川下直市

検察官 吉安茂雄

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、名古屋地方検察庁検察官検事八木新治作成名義の控訴趣意書に記載するとおりであるから、ここに、これを引用する。

所論は、工場抵当法四九条の罪は、同法五〇条により親告罪とされているが、その告訴権者は、原判決にいうが如く、工場抵当権者に限定して解すべきものではなく、本件においては、国税債権者たる国も又、被告人の本件所為により害を蒙つた者として告訴権を有するものと解すべく、従つて、半田税務署長大蔵事務官森兼千代から、被告人の本件所為につき告発があつた以上、ここに、本件については、有効な告訴があつたもので、原判決は、この点において工場抵当法五〇条の解釈適用を誤つた違法がある、というのである。

さて、工場抵当法四九条は、工場の所有者が譲渡又は質入の目的を以つて、同法の規定により抵当権の目的とされた動産を、第三者に引渡す行為を処罰の対象としている。そして、本件は、被告人が所有し、原判示豊島株式会社の為に工場抵当法二条により工場抵当の目的となつていた半田市字本田三番他の二所在の織布工場内に備え附けてあつた平野式一八吋力織機一〇台(それは、当時国税滞納処分によつて所轄税務署から差押えられていた。)を、被告人が昭和三一年二月下旬ころ、原判示加藤護に対し、他の織機と売買及び交換する契約のもとに、そのころ二回に亘り原判示久田久次郎方等に搬出して引渡した、というのである。

ところで、右四九条が、工場抵当権の目的とされた動産について、工場所有者の処分を禁止し、これに違反する場合を、処罰の対象とした趣旨は、工場抵当法全体の趣意に徴すれば、次の点にあると思われる。すなわち、同法は、民法所定の抵当権がその目的物を不動産に限つているのに対し、工場として機能的に全一体としてとらえられた右工場の組成物たる土地又は建物等の不動産及び機械、器具等の動産の全体に抵当権の効力が及び又は、その全体を抵当権の目的とすることにより(同法二条及び八条)、有機的組織体としての工場の経済的効用を活かしながら、その担保価値を充分に発揮せしめることとしているわけであるが、そのために、右工場の組成物たる不動産は勿論、その譲渡移転の容易な動産も又工場所有者たる抵当権設定者の管理、利用に委ねられている。その結果、工場所有者たる抵当権設定者が、抵当権者の承諾を得ることなく、機械、器具等の動産を擅に処分する事態の生ずべきことは、看易いことである。工場抵当法四九条は、そのために、工場抵当権の目的とされたもの(或は、工場財団に属するもの)の個々的な処分を制限することによつて、工場抵当物(或は工場財団)の単一体としての価値を維持し、個々的な処分を認めることによつて生ずることのあるべき工場抵当物と、その個々の組成物件との法律関係、特に、工場又は工場財団抵当権者と個々の組成物件上の権利者との間の利害関係の複雑となることを防止して一体として有する工場抵当物或は工場財団の担保価値を把握する抵当権者を保護しようとしているものである。従つて、工場抵当法四九条により同法が保護しようとしている被害法益は、専ら工場抵当法により設定された抵当権であり、その法益の主体は抵当権者である。そして、この理は、工場の所有者が、抵当権者の同意を得て抵当権の目的とされ、或は、工場財団を組成する個々の機械、器具等を譲渡、移転することは、法も又認めているところであり、その場合には抵当権者の負担において抵当権の効力の及ぶ範囲が縮少するだけのことであつて(同法六条及び一五条)、右四九条は、この場合をも処罰の対象としているものでないことに徴しても明なところである。そうしてみると、工場抵当法の規定によつて、抵当権の目的とされている機械、器具等の動産が、たとえ国税徴収法の規定に基ずく滞納処分によつて差押えられている場合でも、工場所有者が、抵当権者の同意を得て、右機械、器具等の動産を譲渡、移転し、第三者に引渡した場合でも、昭和三四年法律一四七号による改正前の国税徴収法三二条(現行一八七条)違反等の犯罪の成立することのあるのは格別として、工場抵当法四九条の罪に問われるものではないわけである。

ところで、本件において争点とされているところは、右四九条の罪は、同法五〇条により親告罪とされているところ、右の告訴権者は、何人とすべきであるかの点であるが、それは、前記四九条の趣旨、その被害法益が専ら同法の規定による工場抵当権(或は財団抵当権)であることに鑑み、抵当権者に限るというべきである。

この点について、検察官は、前記工場抵当法五〇条は、告訴権者の何人なるかについて明言するところはないのであるから、刑訴法二三〇条により「犯罪により害を蒙つた者」は当然に告訴権を有するものというべく、本件においては、抵当権に優先する国税債権があり、被告人が原判示織機一〇台を処分することにより被告人に対して国税徴収権を有する国も又損害を蒙るべき立場にあり、国も又告訴権を有するものであるというが、斯る議論は、とうてい採るを得ないものである。

蓋し、前記刑訴法二三〇条を根拠とするこの議論は、既に説明した工場抵当法四九条の罪の本質を理解しないばかりでなく、右刑訴法二三〇条の規定は、講学上いわゆる個人的法益に対する犯罪の関係における被害者を第一次的に告訴権者とし、この者に対し、犯人の訴追と処罰とを捜査官憲に求める権能を与えることとしたものであり、国が私的法益の主体となる関係においては、場合により、国も又その私的法益の侵害にに対する犯罪の被害者として告訴権を有することのあるのは暫く措き、国家的法益に対する犯罪に関する限り、右二三〇条は、犯罪により害を蒙つた者の告訴というが如きことを予定せず、ただこれらの犯罪のうち特殊のものについては、告発の制度を設けているのである。そして、本件における如く被告人の行為により国家の国税徴収権が阻害されたという関係は、もともと工場抵当法四九条の規定の範囲外であるばかりでなく、斯る国家的法益に対する犯罪については、右刑訴法二三〇条により被害者としての国が告訴権を有するということは、とうてい考えられないことである。従つて、本件における所轄税務署長の告発が告訴といえるか、どうかは議論するまでもなく、原判決の工場抵当法五〇条の告訴権者に関する解釈は正当というべく、この点について原判決には、所論の如く法令の解釈適用を誤つた違法は毫も存せず、結局本件抵当権者たる豊島株式会社からの有効な告訴のない本件公訴は、訴訟条件を欠き刑訴法三三八条四号により棄却を免れないものというべく、論旨は理由がない。(但し、本件は、工場抵当法四九条の罪の成立する疑ありとして、原裁判所に差し戻され、検察官も又当初の訴因である封印破棄の公訴事実を特に、右四九条の罪の訴因に変更した場合であつて、検察官の立場は救われないことになつてしまつたが、事ここにいたつた理由は別として、このことが前記結論を左右するわけのものでないことは、当然である。)

よつて、本件控訴は、理由がないので刑訴法三九六条に則りこれを棄却することとし、主文のとおり判決した。

(裁判長判事 影山正雄 判事 谷口正孝 判事 中谷直久)

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